中山美穂の息子が実母の遺体を見て即刻帰国していた理由…海外での辻仁成との10年間の生活の全貌に涙腺崩壊!『ミポリン』の元夫・辻仁成が暴露したバーニングの恐怖の真相に驚愕!

中山美穂さんが今月6日に自宅で亡くなり、その報道が広がる中、彼女の息子が10年ぶりに母親と対面し、即座に帰国した理由が注目を集めています。中山さんの葬儀は12日に都内で執り行われ、家族と事務所関係者約30人が参列しました。葬儀では、色とりどりの花々が飾られ、中山さんの生前の作品や思い出の写真と共に彼女の功績を称える時間となりました。 中山さんは2002年に作家の辻仁成さんと結婚し、パリへ移住しました。2004年には長男が誕生しましたが、2014年に離婚。その後、彼女は約10年間息子と会うことができず、離婚の際には真剣を辻さんが持つことが決まっていました。息子にとって、中山さんとの対面は特別なものだったといいます。 最近の報道によれば、息子は中山さんの訃報を知り、パリから急遽帰国。辻さんは息子をメディアから守るため、日本での対面を望んだとされています。そのため、息子は短い時間の中で母親との最後の瞬間を過ごし、すぐに帰国することになりました。 辻仁成さんはブログで、自身の心情を明かし、中山さんとの結婚生活や離婚に関する思いを綴りました。彼は、バーニングプロダクションからの圧力や、離婚後の中山さんの状況についても触れました。中山さんの死は、多くの人々にとって驚きと悲しみをもたらし、彼女の功績や思い出が再評価されるきっかけとなっています。 来年3月19日には、彼女の映像集が発売される予定で、多くのファンがその完成を心待ちにしています。中山美穂さんの冥福を心よりお祈り申し上げます。  

救急隊と事務所社長が明かした中山美穂の発見時の様子…「既に硬直が始まっていた」とされる最期の姿が…

【前後編の前編/後編からの続き】中山美穂さんのトシちゃんとの“ハワイ逃避行” 当時のマネージャーは「上手にやってくれればよかった」 今だから話せる“秘話”とは あまりにも突然の報せだった。女優・中山美穂さんの死。14歳でドラマに初出演、スターダムへと駆け上がった。「月9」でヒロイン役を演じること歴代最多。時代を彩ったスターの来し方を振り返る。 ダニーロブログ!!八方引っこ抜き! | SSブログ 救急車がサイレンを街中に響かせ、東京・渋谷区内の7階建てビルの前に到着した。時間は12月6日正午ごろ。5階までは芸能事務所や撮影スタジオが入居しているが、救急隊員は6階へ。近隣住民は商業ビル然とした外観からそうとは知る由もなかったが、部屋の主は中山美穂さんだった。 中山さんの所属事務所で、バーニングプロダクション傘下の「ビッグアップル」社長、鈴木伸佳氏が当日の様子を語る。 「美穂は夕方から大阪市内でのコンサートを予定していました。担当の女性マネージャーと品川駅で待ち合わせており、運転手役の別の社員が朝9時に自宅まで迎えに行っていたのです。ところが、社員から私に電話があって“1時間待っても出てきません。電話も鳴りっぱなしです”と」 時計の針は午前10時を少し回っていた。 「心配して、自分も自宅に向かいました。ただ、あそこは特殊でね。エレベーター専用の鍵がないと上に行けない仕組みです。それで、美穂が合鍵を預けていた知人女性に鍵を借りねばなりませんでした。美穂は猫を2匹飼っていて、遠征の時などに代わりに餌をあげてもらうため、鍵を預けていたんです」(同) 部屋に足を踏み入れると…… 担当者が鍵を携えて自宅前に戻ったのが11時半ごろ。鈴木氏は担当者と二人でワンルーム・72平方メートルの部屋に足を踏み入れた。 「ひと通り部屋を見回しても美穂の姿が見当たらず、 もしやと思って、浴室の扉も開けてみたんです」 そこに彼女の姿があった。 全国紙の社会部デスクが言う。 「救急隊員が現場に到着した時点で、すでに死後硬直が始まっていました。隊員は蘇生不可能な“社会死”と判断。病院への搬送は行っていません。警視庁は当初、自殺および事件の線も含めて捜査しましたが、ご遺体には目立った外傷もなかった。解剖の結果、死因は入浴中に起きた不慮の事故によるものであると結論付けられています」 複雑な生い立ち 主役を演じた恋愛映画「Love Letter」(1995年、岩井俊二監督)がアジア圏で人気を博した彼女の訃報は、中国や韓国でも大きく取り上げられた。 生まれは70年3月1日、長野県。生い立ちは複雑で、幼少期に両親が離婚。母親に伴われて3歳のとき、まだ生後間もない妹の忍(51)とともに上京した。一時期までは都内の伯母夫妻の元に身を寄せる生活を送ったという。 中山さん自身、2009年に刊行したエッセイで、こんなふうにつづっている。 〈母子手帳には母の名前しかなかった。戸籍などを見ても現実と同じように実父の名前はない〉 〈母は実父のことに関して、私が幼いころに一度だけ、亡くなってしまった、と言ったきりなにも教えてはくれませんでした。(中略)年月がたち、パリに来てくれた母が、これまでいっさい話してくれることのなかった私の父親のことを初めて少しだけ語ってくれました〉 小4の時分に母親が再婚し、小中学校時代に数度、転校も経験している。 中山美穂さんは「引き際を心得てる」稀代の劇作家が語っていた“あやうい魅力”と“派手な顔立ち”|au Webポータル芸能ニュース 「初回放送前日、“見てくれますかね”と心配していた」…

「長男は毎晩ぬいぐるみを涙で濡らし…」急逝の中山美穂さん、辻仁成氏との離婚で“母子断絶10年” 残された遺産の行方

12月6日に54歳の若さで亡くなった歌手で女優の中山美穂さん。アイドルとして昭和末期を駆け抜け、“ミポリン”の愛称で呼ばれた彼女がこの10年、ずっと想い続けていたのが一人息子の存在だった。 2002年に芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)と結婚した中山さんは、2004年に長男を出産。2014年の離婚以降、長男と会うことは叶わなかった。しかし、葬儀を終えた中山さんの妹で女優の中山忍(51)は以下のようにコメントした。 《何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間を持たせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした》 中山さんの訃報後、20歳となった長男はパリから駆け付け、亡き母と10年ぶりの再会を果たしていた。なぜ、母と子の再会に10年という長い時が経ってしまったのか。 「中山さんは辻さんと結婚後、フランス・パリに移住しました。しかし、離婚協議中の2014年5月に音楽家の渋谷慶一郎氏との密会が報じられました。彼女はのちに“親権を譲ることが離婚の条件だった”と明かしていますが、一部からは『自分勝手』『恋愛依存体質』などと彼女の選択に批判的な声が上がりました。“家庭を捨てた母”というイメージが残り、芸能活動に支障もあったようです」(スポーツ紙記者)