古閑美保が元夫・小平智の親友・野田早人と同棲交際疑惑…離婚前から親密関係を週刊文春報道で物議。画像あり
プロゴルファーの古閑美保さん(こが・みほ 40歳)と小平智さん(こだいら・さとし 33歳)が、結婚から5年で離婚していたことをニュースサイト『NEWSポストセブン』が2日に報じ、離婚理由などを巡って様々な憶測も飛び交っています。 そうした中で10日発売の週刊誌『週刊文春』は、古閑美保さんが小平智さんの親友で、元プロゴルファーの“リッキーハヤト”こと野田早人さん(のだ・はやと 33歳)と同棲交際していることや、離婚成立前から2人が親密な関係にあったことを報じています。 <↓の画像が、野田早人さんの写真> 週刊文春によれば、離婚が報じられてから2日後の4日夜に、東京タワーからほど近いビルの地下にある会員制ゴルフスタジオで、このスタジオのオーナーを務める野田早人さんの誕生日会が行われていたといい、そこに古閑美保さんの姿もあったそうです。 スタジオ関係者は取材に、「古閑さんは野田さんに、ネックレスとお寿司の形をしたケーキをプレゼントしていました。店内でも終始、仲睦まじい様子でした」と証言しています。 誕生日会を終えて外に出てきた際には、古閑美保さんと野田早人さんが手を繋いでいたほか、野田さんが古閑さんに抱きつき、頬に濃厚なキスをする場面もあったといいます。 <↓の画像が、週刊文春撮影の古閑美保さんと野田早人さんの2ショット写真> その後2人は揃ってタクシーに乗り、高級住宅街にある古閑美保さんの自宅マンションへ向かったとのことです。 週刊文春は、2人が時間差でマンションの中へ入っていく姿などをキャッチしており、ゴルフ界関係者は2人の関係について、「実はこの2人、小平さんがアメリカツアーに参戦していた今年の夏頃から急接近し、今は古閑さんが借りたマンションで同棲しているんです。古閑さんと小平さんは、すれ違いが多くなっていたとはいえ、正式に離婚したのは10月中旬のことでした」と明かし、離婚成立前から親密な関係にあったとしています。 <↓の画像は、離婚した古閑美保さんと元夫・小平智さんの写真> 夫婦にすれ違いが生じた理由については、「古閑さんはずっと子どもを欲しがっていたが、米ツアーにも参戦し日米の往復もあって忙しい小平さんとはなかなか生活リズムが合わない。」と説明しています。 続けて、「40歳が近づき妊活や夫婦の将来に悩んだ古閑さんが相談を重ねた相手が、野田さんだったのです」と、古閑美保さんと野田早人さんが急接近した経緯を明かしています。 <↓の画像は、古閑美保さん、小平智さん、野田早人さんの写真> 小平智さんと野田早人さんは同学年で、ジュニア時代から切磋琢磨してきた仲といい、2018年には小平さんが出場した大会で野田さんがキャディを務め、2020年には共同でYouTubeチャンネル『小平智What`s up golf』(登録者数:8万人)を開設し、動画で共演もしています。
「どう思われてもいいや」辻仁成との離婚裏にも波乱万丈、中山美穂さんが追い求めた“自由な生き方”
あまりにも突然で、あまりにも早すぎる……。12月6日、中山美穂さんが亡くなったと報じられた。 「この日は大阪でライブが予定されていたんですが連絡がとれず、スタッフが自宅を訪れたところ浴室で倒れていた中山さんを発見したそうです。警察官が駆けつけ、死亡が確認されました」(スポーツ紙記者、以下同) 54歳という若さでの急逝。1980年代にトップアイドルとして輝き、波乱の人生を駆け抜けてきた。 「1985年にTBS系列で放送されたドラマ『毎度おさわがせします』で女優デビュー。中学3年生でした。思春期の男女が繰り広げる恋と性の騒動を描くコメディータッチのドラマでしたね。中山さんはツッパリ娘の森のどかを演じて大人気に。同じ年に『夏・体験物語』で主演を務めるとともに主題歌『C』を歌い、歌手としても活動を始めます。日本レコード大賞で最優秀新人賞を獲得しました」 長野県の小さな町に生まれ、3歳の時に親が離婚、母と妹・忍とともに上京。親戚などの家に預けられ、幼少時には苦労も多かった。 アイドル業に抱えていた違和感 「原宿でスカウトされると、“母を幸せにしたい”との思いから芸能界入りを決めました。歌はヒットしドラマでは主演を務め、アイドルとして大成功。でも、本人は違和感を抱えていたようですね。“地味でいいから手応えのあるものをやりたい”と思っていたそうですから」 転機となったのは、1995年の映画『Love Letter』だった。 「岩井俊二監督の初長編映画で、中山さんは他人ながら風貌がそっくりな二人の女性を一人二役で演じました。演技が高く評価され、ブルーリボン主演女優賞を受賞。それまでのアイドル的な役柄から脱皮し、アート系の映画に挑戦するようになります」(映画誌ライタ
笠井信輔アナ、小倉さん亡くなる2日前に電話 医師から「もう頑張らなくていい」…最期を覚悟、感謝伝える
元フジテレビの笠井信輔アナウンサーが10日、フジテレビ系「めざまし8」で、“師匠”でもある小倉智昭さんが亡くなる2日前の電話でのやり取りを明かした。 この日は、小倉智昭さんが9日に亡くなったことを伝えた。小倉さんは16年に膀胱がんを公表して以降、がんと戦い続ける晩年だった。 笠井アナは、「とくダネ!」で小倉さんと共演。フリーになった後も小倉さんと同じ事務所に所属し、“師”として小倉さんを慕っていた。 笠井アナは小倉さんが亡くなる2日前に電話をしたといい「また入院されたと聞いて電話したところ、もう家に戻ってきたって話で、うん?と思って」と切り出し「小倉さんから『先生に頑張らなくていいですよ』『諦めたんだよね』って話をされまして、声がかれていて非常に弱々しかった」と、医師からの言葉も聞いたという。 これで笠井アナは「これは最期は自宅でっていうことなんだろうと察しはついて。最後、放射線治療にも入っていて全身かゆくてたまらないと。右手か左手か水疱が出来てしまって(包帯を)巻いてるんだよって話をされていた」といい「この電話最後になるかもしれないと思って『ここまで頑張ってきましたよ』と。8年がんと向き合ってましたんでね。そしたら『うん』という感じだったんですけど、『私は小倉さんの一番弟子で本当にありがとうございました』と言ったら『僕の方こそ』と言ってくださいまして。それが最後のやりとりになって…」と思っていた感謝も伝えることができたという。 「また電話しますね、よかったら行きますよと。そのまさか2日後にこういった連絡受けるとは…。覚悟はしてました」と気丈に話していた。