12月6日に、東京・渋谷区の自宅で急逝した俳優の中山美穂さん(54)。8日に中山さんの所属事務所は公式サイトで、検死の結果、事件性はなく入浴中に起きた不慮の事故であると発表した。
中山さんは’82年に東京・原宿でスカウトされことで芸能界入りし、’85年のシングル『C』で歌手デビュー。同世代の女性アイドル“花の85年組”のひとりとして絶大な人気を博したいっぽう、同年にドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)で俳優デビュー。’95年の映画『Love Letter』では第38回ブルーリボン賞主演女優賞に輝くなど、役者としても高い評価を受けていた。
私生活では’02年6月に作家・ミュージシャンの辻仁成(65)と結婚し、フランス・パリに移住。’04年1月には長男が誕生したが、’14年7月に離婚している。当初、中山さんは息子との親子関係をめぐる報道に苦悩していたという。
「辻さんとの離婚協議中、中山さんが都内で音楽家と密会していたことが報じられたのですが、一部では“子どもを捨てた”という報道も出てしまい、これが当時の中山さんを悩ませていたようです。さらに、離婚後には“親権を放棄した”と報じられたこともありました。
ただ、中山さんは若い頃から子供をほしいという思いが強く、離婚が成立するまで、インタビューではたびたび“子どもが最優先”であることを明かしていました」(芸能記者)
本誌12月10日発売号では、離婚後の子供との関係について中山さんの知人による、
「彼女からは、“親権を譲ることが離婚を承諾してもらう条件だった”と聞いています。しばらくして彼女に会ったとき、仕事がなくなったことよりも『子供に会いたいけれど、もう会えないんだ……』と悲しそうな表情をしていたことを覚えています」
という証言を報じている。
中山さんが息子に会えない苦しみを打ち明けていたのは、知人に対してだけではない。交際していた音楽家との破局が報じられる直前の’15年9月〜10月頃にかけて、中山さんは当時Twitter(現X)の投稿で、息子への思いをこう募らせていた。
《無論いちばん会いたいのは息子。絵本を読んだり子守唄を歌ったり。もう必要ないか》
《息子に色々買ってきたんだけど最近は直接渡せず。仕方ないね。お父さんとなかよくね》
《誰よりも息子に会いたい》(いずれの投稿も現在は削除済み)
いっぽうの辻は’23年11月7日、自身のWebマガジン『JINSEI STORIES』で、“息子にとっての母”についてこう記している。
《親なので、会いたくないことはないと思うが、心理状態だけはいまだに、わからない。母という単語は、ぼくらのあいだで長年、タブーになっている》
最近まで複雑な関係であったことが伺い知れるが、再会叶わぬまま中山さんは不慮の事故で帰らぬ人に。訃報から2日が経った8日、辻は息子の様子を綴ると共に、こう呼びかけた。
《某月某日、不意の悲しい知らせがあり、昨日は日記をお休みして、一日、祈っていたのである。そして、息子のことが心配なので、昨日はずっと息子君に寄り添っていたのだ。だから、365日、一度も休んだことがなかった日記が書けなかった。できれば、みなさん、息子も頑張っているので、そっとそっと、見守ってやって頂けると、まじで、父ちゃんは嬉しいのである》
今年20歳を迎えたばかりの、たった一人の息子。大のお酒好きだったという中山さんは、最後まで乾杯を夢見ていたことだろう。