《急逝・中山美穂さんが遺した家族》「次にいつ会えるのかは父親の判断」
歌手で俳優の中山美穂さんが亡くなった。54歳だった。12月6日、中山さんが仕事の現場に来ず、関係者らが東京・渋谷にある自宅を訪ねたところ、浴室で倒れているところが見つかったという。 「警察官や救急隊員が駆けつけて、その場で死亡を確認したそうです。遺書や事件性を疑わせる外傷については確認されていないようです。また部屋の鍵がかかっていたことから事件性はないとの報道もあります。警視庁などは、病死の可能性があるとみて亡くなった経緯を調べているようです」(全国紙社会部記者) 中山さんは1970年3月1日生まれ、東京都出身。1985年、TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』ののどか役で女優デビューを果たし、木村拓哉と主演したフジテレビ系『眠れる森』(1998年放送)といった人気ドラマに出演した。また、歌手としても『ただ泣きたくなるの』や『You’re My Only Shinin’ Star』など多数のヒット曲を持っている。 私生活では、2002年、ミュージシャンで小説家の辻仁成(65)と電撃結婚し、パリに移住。2004年1月に長男が誕生したが、2014年に離婚し、親権は辻が持つことになった。今年、長男は20歳の誕生日を誕生日を迎えている。 極細ヒールで歩く中山美穂(2020年) 写真一覧 前夫と一緒にフランス・パリで暮らす息子は、気軽に会うのは難しい存在だったようだ。過去に中山さんは、息子との関係をこのように語っていた。 「次にいつ息子と会えるかは父親の判断なのですが、いつもいつも愛していることは伝えているし、できるだけそばにいることも伝えています。私にできることは限られているかもしれない。でも、できることは本当にすべてしてあげたいと思っています」(『Numero TOKYO』2015年1・2月合併号) 元夫は意味深長な投稿を続けて 直近で、辻は意味深長な投稿をX(旧Twitter)で連発していた。 〈自分がぶっ壊れそうになる瞬間ってのが、けっこうあるんですよね。あります? そういう時、大丈夫だから、まず、落ち着こう、と自分にいい聞かせています〉(11月17日) 〈負け惜しみじゃなく、孤独、最高だよ〜。なんか人間関係ってきつくなることばかりじゃないですか?〉(11月26日) 〈たまには人の優しさ信じてみるのもいいよね。大丈夫、失うものはない〉(12月3日) このほかも数多く、同様のポストが見受けられた。辻を知る人物が、近況を語る
「お母さんに家を建ててあげたい」中山美穂さんの“育ての親”と共演俳優が明かす“忘れられない素顔”
「ありがとう、美穂。本当に頑張ったね……」 12月12日、都内で行われた中山美穂さんの葬儀に参列した“育ての親”は、そう別れを告げたという。 中山さんは12月6日、都内の自宅で亡くなった。54歳で急逝した元トップアイドルの訃報に、悲しみの声があふれた。所属事務所の発表によると、死因は入浴中の不慮の事故。事件性はないとされる。 「葬儀では、もう涙が止まらなくて。人生で一番泣いたんじゃないかってぐらい。私は独身ですし、美穂は娘のような存在でした。2人で芸能事務所を立ち上げて、人生の半分は一緒にいたんですから」 冒頭に続けてそう語るのは、中山さんの所属していた芸能事務所『ビッグアップル』の創業者・山中則男氏。中山さんを発掘し、世に送り出した人物だ。 1982年、中山さんの人生は、山中氏との出会いによって動き出す。 「私が東京の原宿でスカウトし、その後に母親と3人で食事をしたときのことです。美穂は“お母さんは、すっごく苦労してきたの。だからね私、頑張って、頑張って、お母さんに家を建ててあげたいの”と、涙を流しながら言うんです。その言葉を聞き、私は新たに自分が代表の事務所を立ち上げることを決めました」(山中氏、以下同) オーディションで軒並み落選するも 1980年代は、毎年のように数多のアイドルがデビューしていた。中森明菜や小泉今日子のように輝けるのは、ほんのひと握り。 「私が新しく事務所を立ち上げると言ったら、周囲は“何を考えているんだ、おまえはばかか”と、散々言われました。でも、私は絶対に売れると信じていたんです」 オーディションは軒並み落選。多くのレコード会社も興味を示さなかった。だが、中山さんに可能性を見いだした人物がいた。レコード会社『キングレコード』で音楽ディレクターだった福住朗氏だ。福住氏が話す。 「第一印象は、目力がすごい子だなって思いました。無口でしたが、この子には何かありそうだと思って、デモテープを録ることにしたんです」 中山さんは、中森明菜の『スローモーション』を選んで歌い、福住氏は、その姿に圧倒されたという。 「とにかく歌っている表情が素晴らしくよかった。声に透明感があり、言葉がすごくキレイに聞こえたんです。まだレッスンとかやっているわけじゃないのに、いい感じだなって。なにより発散する圧力が違う。人は、それをオーラと呼ぶのでしょうが、美穂さんは、それがすごく強い人でした」(福住氏、以下同) 魅了された福住氏は、社内で中山さんを猛烈にプッシュしたが反対される。 「キングレコードは、アイドルというジャンルに経験がなかった。先輩スタッフからは“やめておいたほうがいい、考え直せ”と、かなり反対されました。けれど、若造だった私は余計に燃えて(笑)」
「離婚してもなんの問題もない」夫・後藤田正純の泥酔キスに“結婚詐欺”騒動でも崩れなかった水野真紀(54)の“きれいな人生”
女優の水野真紀(54)が12月4日の「ヒルナンデス!」に出演。往年のアイドル南野陽子とともに河口湖畔での食レポに挑んだ。 「3歳年上の南野とは姉妹のように仲良しですが、今回のロケでは水野が南野をリード。久しぶりの全国区のテレビ出演でしたが、変わらぬ美しさにスタジオからも視聴者からもため息が洩れました」(放送記者) 高校2年生のときに「東宝シンデレラ」オーディションで審査員特別賞を受賞して女優活動をスタートさせた。 「松下電工(現パナソニック)が『きれいなおねえさんは、好きですか。』のキャッチフレーズでCMキャラクターに起用すると大当たり。当時は花嫁候補ナンバーワン女優にも選ばれた」(テレビ誌編集者) 50歳を超えてヘビメタに目覚めた 「ボケツッコミも熟練の域。関西のゴールデン帯も納得の実力者」 朝ドラから時代劇まで役の幅を広げ、2時間ドラマには欠かせない女優に成長した。2001年から司会を務める「水野真紀の魔法のレストラン」は関西ローカルの長寿番組だ。 「自身も調理師免許を持つ筋金入りの食通で、グルメ紹介から料理コーナーまでお手の物。ゲストの芸人とのボケツッコミの応酬も熟練の域です。関西の夜7時のゴールデン帯を長年占めるのも納得の実力者です」(在阪放送局員) 結婚した後藤田議員が泥酔キスに“結婚詐欺”スキャンダルも ゴシップとは無縁の水野を射止めたのは、高校時代からの友人で当時衆院議員の後藤田正純だった。 「04年5月に後藤田氏の地元である徳島で挙式。徳島市と鳴門市で2度披露宴を行い、招待客は600名にのぼった」(地元紙記者) 女優と代議士夫人の二足の草鞋生活を「すれ違いばかり」とボヤキつつも新婚時代は幸せだった。 「夫婦そろっての野球観戦を目撃されたり、番組で夫のために料理を披露することもあった。05年に長男が誕生。自宅と議員宿舎を往復し夫の議員活動も熱心にサポートした」(同前) ところが結婚8年目、夫がホステスとの泥酔キス写真を撮られる。水野は徳島の支持者に頭を下げて夫のフォローに回ったが……。 「18年に結婚詐欺で訴えられるという穏やかでない女性スキャンダルが発覚。ついに水野も堪忍袋の緒が切れた」(女性誌記者) 爾来、水野は夫の政治活動にはノータッチ。離婚はせずに別居生活が続く。 「徳島県知事夫人ですが、東京で息子と暮らしています。48歳から聖心女子大に通って取得した幼稚園教諭免許と保育士資格もあり、昨年6月には保育園運営を手掛ける会社の社外取締役に就任しており、離婚してもなんの問題もない」(芸能デスク) きれいなおねえさんを怒らせてはいけない。 (「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年12月19日号)