諸星和己、78歳芸能界の大先輩に「いいかげんにしろよ」と反発、中山美穂さんとの関係性問われ
元光GENJIの諸星和己(54)が13日、TOKYO MX「5時に夢中!」(月〜金曜午後5時)にゲスト生出演。中尾ミエ(78)に反発する一幕があった。 番組では54歳の若さで6日に不慮の事故で亡くなった女優の歌手中山美穂さんをしのんだ。諸星は「いろんなアイドル見てきたけど、とびっきり美人でした」などと語った。金曜レギュラーの中尾が「何もなかったの?」と諸星に質問すると、スタジオは大爆笑。数秒の間の後、諸星は「一緒に仕事ができたなっていう」と言うと、中尾から「優等生な、お言葉」とツッコミが飛んだ。諸星は芸能界の先輩に対し堂々と「いいかげんにしろよ」と切り返した。
「何しに行ってんの?」明石家さんま、木村拓哉志願の能登ロケで“一流旅館”「宿泊&ボヤキ」で賛否
明石家さんまが12月14日深夜放送の『ヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)で、1月に地震の被害に遭った石川県を訪れたときのエピソードを告白した。 それは、木村拓哉との正月特番『さんタク』(フジテレビ系)のロケだったという。木村は今年2月、同じSTARTO ENTERTAINMENT所属のタレントと能登を訪れて支援活動に励んでいたが、「なんとか力になりたい」と再び能登行きを志願。さんまは寒い場所が苦手としながら、「木村が言うから、しゃあないか」と現地に向かったのだとか。 《何しに行ってんの?》 だが、現地の惨状にさんまは「まだまだ復興は(できてない)。『え?こんなにかかんの?』っていうぐらい。もう1年なのに」と、復興の道のりは険しいことを実感。さらに木村と炊き出しの手伝いをしたと明かしていた。 この後、さんまは木村と一緒に宿泊した旅館について、「一流旅館」と説明。2人が泊まる部屋は3階より上にあり、内風呂もあったようだが、地震の影響で「お湯が2階までしか上がって来ない」ことから、1階の大浴場に入りに行ったという。 だが入浴後、通常ならあるはずの体を拭くためのバスタオルが常備されていないことが判明。他にも歯ブラシといったアメニティがなかったなどと述べつつ、フロントの男性も勤務経験が浅いせいか、おぼつかない対応だったとボヤいた。 ところが、さんまのこの話に対し、一部ユーザーからはこんな意見が。 《何しに行ってんの?本気じゃ無いただのポーズの証拠やん》 《一流旅館に泊まって対応やアメニティが気になるって行かなきゃいいのに》 《慈善番組ってやっぱ難しいよな》 といった声が飛び交うことに。さんまは地元で一流と言われる旅館でも復興が進んでいない現実を目の当たりにし、それをラジオで報告しただけなのだが、批判が集まった背景について放送作家はこう語る。 「能登にはまだ仮設住宅での暮らしを余儀なくされている人がいます。ネットユーザーの一部は、地元で炊き出しをして過酷な生活を強いられている人々を励ました後、さんまさんと木村さんが一流旅館に泊まり、挙句の果てにクレームをつけていると、捉えてしまったのかもしれません」 番組撮影であろうと汗を流すのは尊いことなのだが、そこに偽善を感じてしまう人もいるようだ。
「瞳に星」の少女や花に彩られたお姫様で一世を風靡、画家の高橋真琴さん死去…90歳
瞳に星の輝くかれんな少女画で知られ、 黎明れいめい 期の少女漫画で活躍した画家の高橋真琴(たかはし・まこと、本名・髙橋誠=たかはし・まこと)さんが11月17日、食道胃接合部がんのため死去した。90歳だった。葬儀は親族で済ませた。 大阪市生まれ。1953年に大阪の貸本漫画でデビュー。57年、光文社「少女」増刊号で雑誌デビュー。漫画「あらしをこえて」「プリンセス・アン」を連載する一方、60~80年代に「なかよし」「マーガレット」など少女漫画誌の表紙や文房具などにイラストを描き、瞳の大きな少女や、花に彩られたお姫様の少女画で一世を 風靡ふうび した。少女漫画のファッション画的な様式を確立したとされる。漫画の代表作に「パリ~東京」「さくら並木」など。
中山美穂さん死去を公式サイト発表「驚きと悲しみで呆然と」午前7時まで打ち合わせやりとり
女優中山美穂さんが6日、都内の自宅で死亡していたことが分かった。54歳。同日、公式サイトで発表された。この日は、クリスマスコンサートの大阪公演を行う予定だった。 所属事務所は「関係者各位並びにファンの皆様」と題し、コメントを発表。「本日12月6日に、弊社所属のタレント中山美穂が自宅で亡くなっているのが発見されました。日頃よりお世話になっている関係者の皆様及び応援してくださっているファンの皆様に、突然このようなお知らせをすることになり、心苦しいばかりですが、あまりに突然の出来事で、弊社も驚きと悲しみで呆然としております」と記した。 死因については「なお、死因等の詳細は現在確認中です」とした。その上で「マスメディアの皆様におかれては、ご家族やご親族に配慮し、過度な取材・報道は厳に慎んでいただくよう切にお願い申し上げます」とつづった。 関係者によると、自宅の浴槽で倒れている様子を発見した関係者が119番通報。正午過ぎに死亡が確認されたという。 中山さんはこの日午前7時までに、仕事の打ち合わせをLINE(ライン)でやりとりをしていたが、午前9時に乗る予定だった新幹線のホームに姿を見せず、その後連絡が取れなくなった。その後、事務所の職員が中山さんの自宅を訪れたところ、浴槽内で溺れているような状況でいたのを発見したという。 中山さんは1970年(昭45)3月1日、東京都生まれ。1985年(昭60)年にTBS系ドラマ「毎度おさわがせします」で女優デビュー。同年に「C」で歌手デビューし、NHK紅白歌合戦に7年連続で出場した。「ミポリン」の愛称で人気を博し、映画「Love Letter」(95年)でブルーリボン賞主演女優賞、「東京日和」(97年)で日本アカデミー賞優秀主演女優賞した。 私生活では02年に辻仁成氏と結婚し、翌年にパリ移住。04年1月に長男を出産したが、14年に離婚した。19年には歌手活動を再開し、約20年ぶりの新作アルバムをリリース。昨年約24年ぶりの全国ツアーを開催した。
中山美穂さん死去 共演多数の「SMAP」ファンにも広がる動揺…いまも語り継がれる木村拓哉との“衝撃展開”ドラマ
12月6日、女優で歌手の中山美穂さんが、東京都内の自宅で亡くなった。享年54。突然の訃報は、多くの人に衝撃をもたらしている――。 「中山さんは6日の夜、大阪でコンサートをおこなう予定で、午前9時ごろ、事務所関係者と待ち合わせしていました。しかし約束の場所に来なかったため、事務所関係者が中山さんの自宅を訪れたところ、正午すぎに浴室で亡くなっているのが発見されたそうです」(芸能記者) 中山さんは1985年のドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)で女優デビューし、同年のシングル『「C」』で歌手デビューも果たす。1987年の『ママはアイドル!』(同)や1989年の『君の瞳に恋してる!』(フジテレビ系)など、1980〜990年代にかけて、多くのドラマで主演を務めた。 亡くなったことを受け、女優としての中山さんの功績を思い返す人も多いが、Xでは《中山美穂さんの全盛期にSMAPメンバーが脇役に回るという豪華なドラマやったね》《「SMAPの草彅剛」ではなく「草彅剛」として意識したのは中山美穂さんと唐沢寿明さんダブル主演の『おいしい関係』だった》と、2016年に解散した国民的グループ「SMAP」との共演を思い返す人が多かった。 「中山さんと彼らの共演作が多かったからでしょう。1995年のドラマ『For You』(フジテレビ系)で香取慎吾さん、1996年のドラマ『おいしい関係』(同)で草彅剛さん、そして1998年には『眠れる森 A Sleeping Forest』(同)で、木村拓哉さんと共演しました。 中山さんは、中居正広さんと稲垣吾郎さん以外のSMAPメンバーと、ドラマで共演しているんですよ。 当時、彼女は女優、歌手として絶大な人気を誇っていたので、のちに国民的アイドルになるSMAPメンバーを脇に従えるような作品もありました。SMAPファンにとっても思い出深い作品が多かったでしょうから、今回の発表にショックを受けているんです」(前出・芸能記者) なかでも《ミステリードラマ史上最高に好きな作品だった》と、X上のファンも振り返るように、木村とW主演を務めた『眠れる森』は、放送から20年近く経っても視聴者の記憶に残っている。 同作は、中山さん演じる主人公が、エリートサラリーマンの恋人(仲村トオル)との結婚を控えていたところ、木村演じる「謎の男」が現れたのを機に、周囲で不気味なことが起こる物語。 「当初、木村さん演じる謎の青年が主人公につきまとっていたものの、主人公が子どものころに家族を惨殺された事件をめぐって、重大な秘密があることが明らかになっていくという、本格的なミステリー展開が特徴です。 終盤には、劇中で木村さんが死をとげる衝撃的な展開もあり、大きな話題になりました。 トップアイドルの木村さんと中山さんが、シリアスな役を演じたことで、多くの人の印象に残りました。今後も、この作品が語り継がれるのは間違いありません」(前出・芸能記者) たくさんの人の記憶に残る演技で、女優として高く評価された中山さん。改めて、亡くなったことが悔やまれるばかりだ。
中山美穂さん 3人のミュージシャンとの波乱万丈、恋多き女が追い求めた“自由な生き方”
あまりにも突然で、あまりにも早すぎる……。12月6日、中山美穂さんが亡くなったと報じられた。 「この日は大阪でライブが予定されていたんですが連絡がとれず、スタッフが自宅を訪れたところ浴室で倒れていた中山さんを発見したそうです。警察官が駆けつけ、死亡が確認されました」(スポーツ紙記者、以下同) 54歳という若さでの急逝。1980年代にトップアイドルとして輝き、波乱の人生を駆け抜けてきた。 「1985年にTBS系列で放送されたドラマ『毎度おさわがせします』で女優デビュー。中学3年生でした。思春期の男女が繰り広げる恋と性の騒動を描くコメディータッチのドラマでしたね。中山さんはツッパリ娘の森のどかを演じて大人気に。同じ年に『夏・体験物語』で主演を務めるとともに主題歌『C』を歌い、歌手としても活動を始めます。日本レコード大賞で最優秀新人賞を獲得しました」 長野県の小さな町に生まれ、3歳の時に親が離婚、母と妹・忍とともに上京。親戚などの家に預けられ、幼少時には苦労も多かった。 アイドル業に抱えていた違和感 「原宿でスカウトされると、“母を幸せにしたい”との思いから芸能界入りを決めました。歌はヒットしドラマでは主演を務め、アイドルとして大成功。でも、本人は違和感を抱えていたようですね。“地味でいいから手応えのあるものをやりたい”と思っていたそうですから」 転機となったのは、1995年の映画『Love Letter』だった。 「岩井俊二監督の初長編映画で、中山さんは他人ながら風貌がそっくりな二人の女性を一人二役で演じました。演技が高く評価され、ブルーリボン主演女優賞を受賞。それまでのアイドル的な役柄から脱皮し、アート系の映画に挑戦するようになります」(映画誌ライター) プライベートでは、2002年に大きな出来事があった。辻仁成氏との結婚である。 「辻氏は芥川賞作家でミュージシャン。映画監督でもあります。結婚後にパリに移住したのは、生まれてくる子どもにのびのびと育ってほしいとの思いからでした。2004年に長男を授かり、パリで子育てに専念します。しかし、2014年に離婚。親権は辻氏が持つことになりました」(前出・スポーツ紙記者、以下同) 親権を譲ったことで、中山さんは激しいバッシングにさらされることになった。 「“子どもを捨てて恋に走った”と批判されたんです。でも、中山さんにとっても苦渋の決断でした。フランスの法律では離婚すると親権は半分ずつになりますが、日本ではどちらか一方が持つことになっています。最終的に辻さんに譲ることに決めたそうです」 離婚は音楽家との交際が原因か 2014年に中山美穂さんが交際していた音楽家・渋谷慶一郎氏(本人のインスタグラムより) 【写真】中山さんが愛した「3人のミュージシャン」たち 中山さんは2014年に雑誌『美ST』(10月号)のエッセイで、離婚の経緯と息子への思いを綴っていた。 《いちばんに願うのは息子の幸せです。寂しい思いをさせてしまったことは、毎日胸が痛みます。これから思春期に入っていく彼の微妙な変化も何もかも、すべて受け止めて支えてあげられたら》 離婚の原因として報じられていたのが、音楽家・渋谷慶一郎氏との交際だった。 「2014年4月に帰国すると、空港には多くの報道陣が詰めかけました。質問にはノーコメントでしたが、“辻さんとお会いになる予定はあるんですか?”との問いかけには“はい、あります”と返答。その後もカメラマンが追いかけてきたことに怒ってトラブルになったことが印象を悪くしましたが、真相は取材の取り決めに行き違いがあったんです」(テレビ局関係者、以下同)
山崎怜奈、ラジオで突然の“ご報告”「ウチの子が1歳になって」ネットざわざわ…
タレント・山崎怜奈(27)が16日までに更新されたテレビ朝日公式YouTubeチャンネル「動画、はじめてみました」に出演し、驚きのエピソードを明かす場面があった。 同局の人気バラエティー番組「激レアさんを連れてきた。」の未公開トークに登場した山崎。そこで「珍しい体験はありますか?」と質問されると、「誰にも言わずに猫を1年間育てたことがあります」と答えた。 「結構最近なんですけど。自分より弱い命を愛おしいと思い続けられるか、不安だったんですよ。ちゃんと育てられるか、1回挑戦してみたくて。でも1歳になるまでは、何が起こるか分からないから。“人に言うもんじゃない”と思って、隠していたんです」と振り返った。 「それで1歳になったタイミングで、ラジオで“昨日ウチの子が1歳になって”って言ったら、猫って言うのを忘れていて…凄くざわつかせてしまいましたね」と苦笑していた。
みちょぱ 半年間悩まされていた“症状”明かす 「皮膚がカチカチに固まっちゃって…しこりよりも固い」
タレントの“みちょぱ”こと池田美優(26)が15日放送のパーソナリティーを務めるニッポン放送「#みちょパラ」(日曜後10・30)に出演。半年間悩まされていた症状を明かした。 番組内で、6月にブヨに刺されたと明かしていたみちょぱ。実は去年も刺されていたが、かゆみはなんとか治まったという。今年はゴルフに行った際に刺されてしまい「去年と違ってパンパンに腫れちゃって、もう歩くのも痛いレベル。最初はかゆかったけど、もう痛さとの戦いで」と、去年と比べものにならないくらいの痛さを味わったと明かした。 急いで皮膚科を受診し、薬を塗って対処。「痛さは治まったんだけど、ブヨって最強だからさ。毒というか、なんかあるんだよね。実は未だにかゆくて。それも驚きじゃん」と語った。 2箇所刺されたうちの、すねの1箇所が特にかゆいという。「1日2回、急に波が来るの。かゆっ!みたいな。ずっとかゆくて、それをかかないようにしてるんだけど、寝てる間にかいちゃったりしてかさぶたになっては剥けてを繰り返しちゃって。そしたら皮膚がカチカチに固まっちゃって。なんかしこりよりも固い感じになっちゃって」と話し、テレビ番組では足が出せなくなってしまったと打ち明けた。 最終的に、薬と湿布を併用。それでも跡が残ってしまうためレーザーを当てる必要があるといい「そこそのレベルに行ってしまった…と思いながら」と後悔しつつ、「薬を塗り続けてたら、だいぶマシになったの。なんでもっと早く行かなかったんだろうっていう」とうれしそうに話していた。
みのもんた、小倉智昭さん追悼で聞こえた「80歳の事実」への驚き…闘病、『ケンミンSHOW』勇退から4年の足跡
フリーアナウンサーの小倉智昭さんが、膀胱がんのため77歳で亡くなったのは12月9日のことだった。2021年3月、小倉さんが長年、総合司会を務めていた朝の情報番組『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ系)が終了してから、わずか3年半でのことだった。 「その後も小倉さんは、フジテレビ系の冠トーク番組『小倉ベース』への出演などを続けていましたが、がんのステージ進行もあったため、仕事ペースは抑えていた印象でした」(芸能記者) 小倉の『とくダネ!』が終了した2021年といえば、もうひとりの大物アナウンサーにとっても“転機”の年となった。 「2021年3月で、みのもんたさんの冠番組『朝からみのもんた』(読売テレビ)が終了しました。これが現在のみのさんにとって、最後のレギュラー番組になっています。みのさんも、2005年から『みのもんたの朝ズバッ!』(TBS系)の総合司会として、小倉さんとともに朝の情報番組を務めていました。小倉さんにとって、みのさんは3歳上のライバルといえる存在でもありました」(同前) そこで、本誌は神奈川県内にある、みのの自宅を訪ね、小倉さんとの思い出などをうかがった。80歳を迎えたみのは、以前より、少しほっそりした印象だったが、まだまだ元気な様子。 訃報については、かなりショックを受けたようで「残念だよね……。そのひと言に尽きるよ。惜しいやつから先にいなくなるよね。寂しいよ」と、少しずつ言葉をつむいでいた。 そして、小倉さんについて「ジャンルが違う、生き方も違うしね。でも(訃報は)残念だ」と振り返るなど、しっかりと取材に応じてくれた。 最後に、みのに恒例の“銀座の夜”について尋ねると「たまに行ってるよ」と返答してくれたのだった。 この内容が伝わると、X上では《みのもんたさんも80歳か》《相変わらず元気だなぁ》《元気そうでよかったわ》と、みのが年齢を重ねた事実への驚きと、元気な様子に安堵する声が多く聞かれていた。 テレビで観ることはめっきり減ったが、本誌取材に答えた、みのの声はいまもエネルギーに満ちていた。 2019年には「パーキンソン病」と診断され、闘病していることを明かしていたが、現在も経営する会社を訪れるなど、元気に過ごしているという。 「みのさんは、全盛期にはレギュラー番組16本を抱え、2006年には『1週間でもっとも多く生番組に出演する司会者』としてギネス世界記録に認定されるほどでした。しかしパーキンソン病と診断されて以降、2020年3月には『秘密のケンミンSHOW』(読売テレビ制作・日本テレビ系)を勇退。 その後、2020年8月に『朝からみのもんた』が始まりましたが、2021年3月に終了しました。アイドルグループ『V6』の解散にともなって放送された、2021年10月の『学校へ行こう!2021』(TBS系)以降は、ほとんどテレビ出演をしていません。 近ごろ、視聴者がみのさんの姿をテレビで観たのは、2024年3月に開かれた作家・伊集院静さんのお別れの会の様子が放送されたときだったのではないでしょうか。親交の深かったみのさんは取材に応じており、そのときも久々の登場に感嘆の声があがっていました」(前出・芸能記者) 露出は減ったが、みのにはこれからも“ご意見番”として、テレビ界を見守ってほしい。
マツコ 自宅で一瞬ヒヤリのアクシデント告白 「この間、お風呂場でさ、初めてよ…」
タレントのマツコ・デラックス(52)が、16日放送の日本テレビ系「月曜から夜ふかし」(月曜後10・00)に出演し、自宅でのあわやのアクシデントを報告した。 番組では、マニアックすぎる専門誌を調査。石を愛でる月刊誌「愛石」が紹介されると、「SUPER EIGHT」村上信五から「愛石、ええんちゃう?マツコ、ありやで?」と趣味として勧められた。 しかし、マツコは及び腰。石を探しに行く道中が不安なようで、「滑って転んで頭でも打ったらどうするのよ?」と返した。 心配な出来事があったという。「この間、お風呂場でさ、初めてよ…」と、自宅の風呂で転倒したことを告白。「たまたま何も、頭とかぶつからない位置に滑ったから良かったけど、ああこれ、簡単に死ねるな、私と思った」と話した。 風呂には緊急事態の際に、フロントスタッフを呼べるボタンが付いているという。「いい位置に倒れれば、呼び出しボタンがついているのよ、うちのお風呂は。フロントにつながる緊急っていうのが」。トイレにも同じボタンが付いているといい、想定外のタイミングで押してしまったこともあるという。「1回トイレでさ…私、幅があるじゃん。またを開いた膝の角に(当たるような場所に)、緊急ボタンがあるのよ。それで何度も押しちゃって。“大丈夫ですか?”って来て。う○こしてます…」と笑わせていた。