Japan News

「悲しいぐらい美しい」有名カメラマン、急死の中山美穂さんの素顔とキスにはにかむ生前ショット公開

12月6日、歌手で俳優の中山美穂さん(54)が東京・渋谷区の自宅で亡くなっているのが見つかった。入浴中の不慮の事故によるものだったことが分かり、検視の結果、事件性はないことも確認されたという。

悲しいぐらい美しい」有名カメラマン、急死の中山美穂さんの素顔とキスにはにかむ生前ショット公開 - YouTube

中山さんは同日夜、大阪でコンサートの予定だったが、当日になって「体調不良のため」と中止が発表されていた。中山さんが仕事関係者との約束の時間に姿を見せなかったことから、関係者が自宅を訪問したところ、浴槽にいる中山さんを発見したという。

悲しいぐらい美しい」有名カメラマン、急死の中山美穂さんの素顔とキスにはにかむ生前ショット公開|概要|ニュース|ピンズバNEWS

そんな中、中山さんと親交の深い写真家の下村一喜氏(51)がインスタグラムを更新。《#中山美穂さんとは 長きに渡り、沢山の撮影を色々な国や場所で御一緒させて頂きました。良き思い出ばかりです》とつづり、《寡黙な方でしたが、あえて少年のような言葉使いで、ぽつっと本音を仰る御姿が可愛らしかった》と、生前の中山さんについて明かしている。

その上で下村氏は、自身が撮影した中山さんのショットを公開。イエローのドレスを着てほほえんでいるショットのほか、男性から頬にキスをされた中山さんが無邪気な表情を見せるショットを投稿している。

「下村氏は浜崎あゆみさん(46)、小雪さん(47)、浅田真央さん(34)、氷川きよしさん(47)などの撮影を手がけており、さまざまな芸能人と親交があるそうです。中山さんとも何度も一緒にお仕事をしていたようですが、今回投稿された写真は中山さんの自然体な魅力たっぷりの仕上がりで、仕事を通して信頼関係を築いていた下村氏だからこそ収めることができた表情かもしれません」(女性誌ライター)

下村氏が公開した中山さんの生前ショットに、ファンからは《下村様、素敵な写真を掲載いただき、ありがとうございます》《素敵な笑顔ですね。ご冥福をお祈りします》《美しい写真にいっそう悲しくなりました》《これからも皆のミポリンは綺麗で可愛くて優しい笑顔で輝き続けますね》《女神のように美しいミポリン どうか安らかに》とさまざまな反響が寄せられている。

今回の投稿には《悲しいぐらい美しい》《本当に素晴らしいですね 中山さんの美しさを引き立てている》との声も。訃報に衝撃を受け、悲しみに暮れているファンは多いことだろう。

Related Posts

中山美穂さん行きつけ焼肉店の店主が明かす「帰るときはいつも腕を組んで」忘れられない姉妹の姿

《大好きな妹は子供の頃からいつも私の後を付いてきます。今も何かある毎に来てくれます。優しくて可愛くてしっかりした女優さんで、忍が妹で本当に良かった》 生前、SNSに妹の中山忍について、そう投稿していた中山美穂さん。2024年12月6日に急逝した彼女を惜しむ声が絶えない。 「中山さんのオフィシャルサイトで、2025年3月末でファンクラブを閉鎖することが発表されました」(スポーツ紙記者)  中山さんのインスタグラムにある最後の投稿には、1万件を超えるコメントが寄せられている。 《1番、美穂ちゃんが驚いてますよね? 心にぽっかり穴が開いた感じです》 《あなたが亡くなった事を知ってから、本当に悲しい毎日を過ごしていました》 《いまだに信じられない。嘘であってほしい。受け入れられない》 《ミポリンのいない世界はつまらない。私の生きる指針だったのに。どうすればいいの?》  多くのファンが、今もその死を受け止められないでいる。 思い出の多い行きつけの焼き肉店 「もう、美穂さんがこの店に来ることがないんだと思うと、信じられないですよね」  そう話すのは、東京・笹塚にある焼き肉店『にくる』の店長・伊藤信太郎さん。同店は生前、中山さんが足しげく通った行きつけだった。 「店はオープンして4年ほど。当初は忍さんが来てくれて、その紹介で、美穂さんもいらっしゃるようになりました」  月に1回は中山さんから弁当の注文が入り、数か月に1回は直接、店を訪れていたという。 「いらした際は、必ず“ありがとう、お弁当おいしかったよ”と言ってくれて、僕みたいな、ただの飲食店の従業員にも分け隔てなく、気さくに接してくれる人でした。忍さんが僕を下の名前で呼んでくれていたのにならって、美穂さんも“シンちゃん”と呼んでくれるんですから」  常連だった忍は、来店するたびに姉について話していたという。 「忍さんは“聞いたよ! この間、姉のライブにお弁当を届けてくれたんだってね。ありがとう”って、美穂さんのことでもきちんとお礼を言ってくれるんです。本当に仲がいいんだなって」  ふたりが揃って訪れたときには、特別に仲のよさを感じた、忘れられない姉妹の姿があったという。 「帰るときには、いつも姉妹で楽しそうに腕を組んでいました。だからこそ、亡くなった直後にテレビで流れていた、報道陣が忍さんにコメントを求めるニュースは見られませんでした」  姉が投稿したように、その背中を追いかけ続けた妹は、スターとなった中山美穂さんの1番のファンでもあった。 《“演じたい”と口にすべきか悩みましたが》  忍のSNSには、美穂さんのライブに足を運び、その度にこんな思いを綴っていた。 《やっぱりうちのおねえやんはすごいなぁ、とあらためて感じた名古屋の夜でした》(2019年3月18日投稿) 《ファンの皆さまの前で歌う姉は楽しそうだった、幸せそうだった。歌うことへの情熱を、ずっと胸に抱いていたのを見てきたから、なんだか感無量で泣けてきました。姉が好きな歌を、ずっと歌えますように》(2022年5月21日) 《胸に迫るものがあり、泣いちゃった。周りを見たら、一緒に行った人、みんな泣いてたよ》(2023年6月25日投稿)  そして必ず、中山さんのファンに向けた感謝の言葉も忘れなかった。 「2023年に出演したテレビ番組で、忍さんは美穂さんのライブによく行くことを明かしたのですが、ステージ上の姉を熱心に応援する姿があまりも目立ちすぎて、美穂さんから注意されたことを明かしていました。2023年から約30年ぶりに忍さんもコンサートを開催するようになったのですが、それも美穂さんの影響があってのことかもしれません」(前出・スポーツ紙記者)  中山さんが急逝した1週間後の12月12日、葬儀が執り行われた。喪主を務めたのは、忍だった。葬儀に参列した人は、…

〈年金月20万円〉〈退職金3,200万円〉72歳男性、「バカみたいに散財しちゃったよ」35年連れ添った妻に三行半「東京都新宿区・家賃4万5,000円のボロアパート」に漂う絶望感

学校を卒業して以来、苦しいことのほうが多いであろうサラリーマン。そんな苦労のご褒美としてもらえるのが定年退職金です。一度にもらえるお金としては、おそらく人生史上最高額。何に使うかは人それぞれですが、何とも残念な使い方をする人もいるようです。 老後不安が影響…退職金の使い道 金子将さん(仮名・72歳)。勤めていた会社は60歳で定年だったといいますが、人材の若返りを目指し、58歳のときに早期退職を募集。金子さんは手を挙げて、定年時の金額に上乗せして退職金を受け取ったといいます。その額、3,200万円。 ――2年分の給与が貰えませんが、もう十分働いたからもういいかなと思って。退職金は800万円ほど多くもらえたんじゃないかな 突然始まった定年生活。家族にきちんと相談をして決めたことではなかったので、呆れられたといいます。家族の反応はさえておき、いきなり3,000万円を超えるお金が入るわけですから、相当テンションが上がったとか。 ――あれや、これやと退職金の使い道を考える……人生で一番幸せなときだったかもしれません(笑) 一般社団法人投資信託協会『60歳代以上の投資信託等に関するアンケート調査報告書』によると、退職金の使い道で最も多かったのは「預貯金」で6割弱。多くの人が老後の生活資金を確保するために、リスクを避ける選択をしていると考えられます。

20歳長女と再会・高橋ジョージ(66)「パパは一人じゃない」に救われた10年間…孤独と後悔、そして新たな「ロード」の始まり

今年、20歳になった娘の誕生日を祝ったことで話題になったのは、ロックバンド「THE 虎舞竜」のボーカル・高橋ジョージ(66)。少し前まではこんな風に何気ない親子の時間を過ごすことはかなわなかった。 高橋は、1993年、THE 虎舞竜として「ロード」をリリース。Wミリオンを記録する大ヒットとなった。一方、プライベートでは、24歳年下のタレント・三船美佳(42)と結婚。2004年に娘のレノンが誕生した。おしどり夫婦としてバラエティー番組に出演していた2人だが、2016年、すれ違いがきっかけで2人は離婚した。 2014年から一人娘と会っていなかった高橋…それから10年、娘と感動の再会を果たした高橋ジョージに「No Make」が独占密着。そこで見せたのは、独り身の孤独を支えた、離れて暮らす娘への想いと元妻への懺悔。そして、2024年末に再始動を発表したTHE 虎舞竜のライブに密着。ロックと娘、自分が信じる道をゆく高橋ジョージの素顔に迫る。 「相手にとっては辛いことがいっぱいあったんだと思う」元妻への懺悔 11月1日、取材班は高橋の自宅を訪れた。 ――今一人暮らし暮らしですか? 高橋:一人です。もう11年くらい。 ――ご飯とかどうしてるんですか? 高橋:飯はここ1年ぐらいほぼ自分で作っています。 ――家族で暮らしてたのが一人になって、やはり寂しさはありましたか? 高橋:もちろんですよ。一番辛いのは孤独なんじゃないかなって。俺だけじゃなくてね。人って孤独ってやっぱ辛いなとは思いましたよね。 ――自分のこういう所がよくなかったとかありますか? 高橋:あり過ぎて。これだっていう決定打がないくらい。 結婚している時に夫婦でやっている仕事も多かったから、帰りの車の中とかで、ものすごい反省会をするんです。その話をいろんな芸能人の方にすると「それは嫌だわ」って。(普通は)帰るときにはオフにして、もうニュートラルにしたいわけじゃない?だから、よかれと思っていても、相手にとっては辛いってことがいっぱいあったんだと思う。 娘の絵に支えられた10年「パパは一人じゃないよ。泣くな。頑張れ」 家族で住むために建てた家に一人で暮らす高橋。この10年の孤独を支えたものは、娘が描いた絵だ。 ――この絵はなんですか? 高橋:これを支えに生きてきたというか。これは(娘が)出ていく前に“パパにメッセージ”“パパは一人じゃないよ。泣くな。頑張れ”って。娘が描いてくれた絵。 ――10年間そのままにしてきたんですね。 高橋:まんまです。よく消えなかったなと。変な話、1時間に1回は思い出すよ。あれ?本当に俺結婚してたっけ?とか。あれ本当に子どもいたっけ?って思う瞬間があるんですよ。その時は絵を見て確認するというか。励ましになります。 事務所に届いた娘からのメール…そして再会へ 「娘にいつか会える」。そう信じていた高橋のもとに届いたのは1通のメールだった。 高橋:こんなことあるんだなと思ったけど、ちょうど10年目の2024年3月23日に事務所のメールを開いたら、娘の名前でメールが来てたのよ。「これなりすましかな?」と思ったけど、「お元気ですか?」みたいな、他人行儀なメールだったけど。「その後、会ってませんけど」みたいな。そして東京でちょっと暮らしてみようかって。 ――会えたわけですね。…

中居正広 収録中止の『金スマ』に続き新番組『THE MC3』も放送中止へ!スタッフは「このまま番組がなくなってしまうのでは」

「中居正広さん、東野幸治さん、ヒロミさんの3人が司会を務めている『THE MC3』(TBS系)ですが、年明けの1月13日に予定されていた回が放送中止になることがスタッフたちに通達されたそうです」(TBS関係者) 国民的大スターである中居正広(52)の“まさかのスキャンダル”は波紋を広げ続けている。 発端は12月19日発売の「女性セブン」によるスクープ。記事によると、昨年に当初3人で行われるはずだった会食があったが、急遽中居と女性の2人だけに。その後、密室で2人の間に重大なトラブルが発生。後日、代理人を介した話し合いの場が持たれ、中居から約9000万円の解決金が支払われたという。 中居の代理人弁護士は同誌の取材に対して、「本件については、以前に双方の話し合いにより、解決しておりますことをご理解ください」と回答しており、トラブルがあったことや示談金を支払ったことを否定していない。 12月26日には同じくTBS系の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』の収録が予定されていたが、前日の25日に中止されたと報じられている。 前出のTBS関係者が続ける。 「『THE MC3』の放送中止についての通達があったのも12月25日で、文春オンラインが中居さんの女性トラブルについて報じた日でした。現場では『記事を確認したうえで中止を判断したのだろう』と、ささやかれています。 1月13日放送分はすでに収録を終えており、スタッフたちも動揺しています。放送中止の理由についての説明は特になかったそうです。1月13日の放送だけではなく、『このまま番組がなくなってしまうのではないか』と、スタッフたちは戦々恐々としています」 12月27日、本誌はTBSテレビ広報室に、『THE MC3』の放送中止の理由と番組終了の可能性について質問状をおくったが、年末ということもあったのか、要望した時間までは回答を得られなかった。 「9000万円という解決金は世間を驚かせましたが、逆に『そこまでのことをしてしまったのか』という印象を広げ、延焼を防ぐにはいたっていないようです。 スポンサーや視聴者の反応によっては、今後、TBSが中居さんを起用しない方向に舵を切る可能性もあります」(前出・TBS関係者) 激震は年明けまで続くのか? 関係者たちは注視し続けている。

《本は数万冊、CDやDVDは約2万枚》小倉智昭さん、叶わなかった妻の願い「コレクションを眺めながらお別れの時間を」

青空が広がった12月中旬、9日に膀胱がんのためこの世を去った小倉智昭さん(享年77)の葬儀がしめやかに営まれた。喪主を務めたのは、小倉さんと40年間連れ添った妻のさゆりさんだった。長年情報番組のMCを務め、交友関係も広かった小倉さんの“キャスターとしての最後”に、さゆりさんは複雑な思いを抱いているという。 「生前、小倉さんは熱心なコレクターとして知られていました。小倉さんの死後、さゆりさんはそういったコレクションを眺めながら、生前小倉さんと親交のあった人々を自宅に招いて、“お別れの時間”を過ごしてもらおうとしていました。ところが、小倉さんの死が思ったより早く世間に知れ渡り、その準備の時間がとれないまま葬儀の日を迎えることになった。それが心残りになっているようです」(芸能関係者) 小倉さんのコレクションは、本だけで数万冊、CDやDVDは合わせて約2万枚あった。それらに加え、腕時計や絵画、飛行機や鉄道の模型に、日本では手に入らない木材で作った貴重なゴルフクラブなどもあったという。 自慢のコレクションに囲まれて(2017年5月) 写真一覧 「5万点を超えるコレクションを、小倉さんは自宅とは別に借りた事務所兼スタジオに保管していました。7階建てビルの4フロアを使い、『小倉ベース』と呼ばれていました。ただ、家賃などの維持費が相当額かかるため、小倉さんは生前、コレクションの処分を考えていたようです」(小倉さんの知人) そこに手を差し伸べたのがさゆりさんだった。 「“あなたの余生は、自分が好きで集めたものに囲まれて暮らすのが幸せでしょ”と言って、自宅を自慢の品々を展示できるようにリフォームして、小倉ベースからすべての所蔵品を引き上げる計画を立てました。さゆりさんが使っていた部屋にも陳列棚を作ったそうです」(前出・小倉さんの知人) 自らの部屋を夫に明け渡したさゆりさんは、母親の介護もあり、都内にある実家へと移った。2023年秋にリフォーム工事が終わると、計画通りすべてのコレクションが自宅に収まったという。 「小倉さんが集めたものの一つひとつに、さゆりさんは夫の人生が映し出されているように感じていたようです。だからこそ、まずはそうした大切な品々がある思い出の場所で、お世話になった人にお別れをしてもらいたかったのでしょう」(前出・芸能関係者) 後日予定されている小倉さんの「お別れの会」では、さゆりさんのはからいでコレクションの展示が計画されているという。

《神田正輝が妖艶マダムとゴルフ場デート》助手席でほほ笑む女性

「僕は元気ですよ」──。2021年12月に愛娘・神田沙也加さん(享年35)との別れを経験した神田正輝(74)は、当時MCを務めていた『朝だ! 生です旅サラダ』(テレビ朝日系、 以下『旅サラダ』)に出演すると、笑顔で気丈に振る舞った。あれから3年、神田と母・松田聖子(62)はそれぞれの“時間”を過ごしていた。  松田は沙也加さんの訃報があった当時、毎年恒例だったディナーショーを中止し、すべての仕事をキャンセルした。 「聖子さんは約4カ月後に東京で行われたディナーショーで、歌手活動を再開しました。112日ぶりにファンの前でマイクを握った聖子さんは、『私の娘は昨年12月18日、天国へと旅立ちました』『これからも、歌うことが好きだった沙也加と一緒に歌ってまいります』と、涙ながらに誓っていました。以降、公の場で沙也加さんのことに触れることはほとんどありませんでした」(スポーツ紙記者)  静かな生活を送ってきた松田だったが、彼女自身も向き合い、2024年3月に中央大学法学部通信教育課程を卒業していた。 「聖子さんは数年前から音楽活動の合間を縫って、仕事と勉学を両立してきたそうです。子どもの頃から大学志望でしたが、高校卒業後にすぐにアイドルとしてスターとなり、進学できなかったのが、ずっと心残りだったそうです。芸能の仕事と法律が身近だったことから法学部を選択し、生前の沙也加さんも聖子さんの決断を後押ししていたそうです」(同前)  2024年、芸能生活45周年を迎えた松田は年末年始、ファンの前で歌い続ける予定だ。一方、2024年9月末で27年半もの間MCを務めた『旅サラダ』を卒業した神田は、2023年にSNSで激やせを指摘する声が相次いだ。本人は「身体のメンテナンス」を理由に番組を長期欠席して約2カ月後に復帰したが、最終的に番組から離れることを決断した。 「完全回復した神田正輝」  番組卒業から3カ月──。表舞台に姿を見せていなかったが、12月中旬、神田の姿は千葉県内にある会員制高級ゴルフ場ラウンジにあった。彼の傍らにいたのは、40年来の付き合いのAさんだった。 「Aさんは銀座の老舗クラブのオーナーママで、神田さんの年下だと聞いています。妖艶な雰囲気のマダムです。独身時代からの知り合いで、番組を休んでいた神田さんを献身的にサポートしていたのが彼女です」(芸能プロ関係者)  神田は、石原軍団に所属していた頃からプロアマ大会に出場するほどゴルフ好きで、50代の頃にはドライバーで368ヤード飛ばすなど、その腕前は芸能界トップクラスだった。 「このゴルフ場は有名人御用達で、神田さんは以前からこちらの常連です。神田さんは女性とゴルフ場のレストランに入店し、朝食にトーストとサラダの洋食セットを食べていました」(目撃した利用者)  晴天の中、溌剌とした様子でゴルフを楽しむ神田とAさん。 「最終ホールのグリーン上では、神田さんが狙いを定めてカップインすると、すぐさま女性が駆け寄って微笑みながら声を掛けていました。プレーを終えると神田さんが車のハンドルを握り、助手席に女性を乗せて帰られました。神田さんはゴルフバックを片手で担ぐなど、とても元気に見えましたよ」(同前)  神田と松田は沙也加さんの急逝後、「静かに個人を偲びたい」という意向で「お別れ会」の開催を見送っている。  命日だった12月18日、2人は静かに愛娘を偲んだ。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *